上荒田の杜公園。市内では比較的新しい公園。
花は霧島∻たばこは~国分♬~。たばこ産地の一つであった鹿児島には、「日本たばこ産業鹿児島工場が上荒田にありました。時代の波に押されて大きな敷地の工場は閉鎖になってしまいましたが。
その跡地にできたのが、市立病院と上荒田の杜公園です。大きな工場がかってここにありましたよという『紫煙」という石碑が建てられています。愛煙家ではありませんが大きな塀にぐるりと囲まれた工場の風景を思い出すと時代の流れに感慨を覚えます。
上荒田の杜公園にくれば縄文の時の流れを感じることができる。
上荒田の杜公園からは桜島が望める。鹿児島に住む人には何の変哲もない風景。
今日の桜島は白い煙を上げている。桜島の噴煙と風向きは毎日の関心事。
鹿児島で暮らしていれば、桜島の風景は日に何度も目にはいる。路地の角から。車の窓から。朝日が昇る。夕焼けに染まる山肌はしばし立ち止まり眺めるしかない。
しかし一度機嫌を損ねると市内は噴煙砂漠と風景を変えます。更に機嫌を損ねると大正の大爆発の可能性を秘めている山だ。鹿児島暮らしは桜島の活動が静かなことに依存している。
上荒田の杜公園のすぐ脇は、鹿児島大学農学部のお米の試験田や海外のお米の栽培などがみられます。
この一帯は鹿児島大学の研究者により縄文の太古の昔からの桜島の爆発による火山灰や礫などの地層があることが分かっているそうです。
鹿児島大学農学部のキャンパスやその周辺では、考古学的な遺構が発見されており、特に縄文時代のものが多く含まれています。鹿児島の地域は、古代から人々が生活していた痕跡が残っており、鹿児島大学農学部の敷地内でもその証拠となる土器や石器が発掘されています。
縄文時代の遺跡について
鹿児島は、温暖な気候と豊富な自然環境に恵まれ、古代から人々が集落を形成していた地域の一つです。縄文時代の遺構としては、住居跡、貝塚(食料の廃棄物が堆積した場所)、土器の破片などが見つかっています。縄文時代の土器は、特にその独特な縄目模様(縄文)が特徴的で、食物の調理や保存に使われていました。
鹿児島大学での発掘
鹿児島大学農学部のキャンパス内では、農学部の設立やキャンパスの建設に伴う開発工事の際に遺構が発見されたことがいくつか報告されています。これにより、発掘調査が行われ、数多くの縄文時代の土器片や石器、骨などが出土しました。これらの発見により、当時の人々の生活様式や文化、狩猟や漁労の様子が徐々に明らかになってきています。
発掘された遺物の重要性
発掘された縄文時代の土器は、形状や模様から当時の生活文化を知る重要な手がかりとなっています。また、鹿児島大学周辺で見つかった土器の特徴は、鹿児島という地域の文化的独自性を反映しており、他地域との比較研究にも役立てられています。
さらに、鹿児島は火山活動が盛んな地域でもあり、地層に火山灰が堆積しているため、発掘された遺物の年代を特定する際には、火山灰層との関連から比較的正確な年代測定が可能だそうです。このため、縄文時代から現在までの時間軸を明確にするうえでも鹿児島大学での発掘調査は非常に重要な意味を持っています。
鹿児島大学では、これらの発掘調査を通じて得られた知見をもとに、地域の歴史や考古学に関する研究が進められ、学生や研究者がフィールドワークを通じて歴史や文化の理解を深めています。
弥生時代とその後の時代について、鹿児島地域や鹿児島大学周辺でも考古学的な遺構が見つかっており、これらの時代の生活や文化についても多くの知見が蓄積されています。弥生時代は、日本列島で稲作を中心とした農耕が始まり、社会構造や文化に大きな変化をもたらした時代です。その後、古墳時代や奈良・平安時代へと続き、南九州地方もそれに連動して大きな発展を遂げています。
弥生時代
弥生時代は紀元前5世紀頃から紀元後3世紀頃まで続きます。この時期、稲作農耕が九州北部から広がり、南九州の鹿児島地域にも徐々に伝わっていきました。鹿児島では、稲作が本格的に定着するまでにはやや時間がかかりましたが、弥生時代後期には稲作を行う集落が形成され、金属器や弥生土器が使用されるようになります。
鹿児島大学周辺や南九州での発掘調査では、弥生時代の集落跡や貯蔵穴、墳墓などが見つかっており、そこから弥生土器や石器、鉄器が出土しています。特に、弥生時代の土器は縄文時代のものと異なり、より実用的な形状で、薄くて硬いのが特徴です。鹿児島地域では、独自の土器文化が発展しており、他の地域との交易も行われていたことが示されています。
また、弥生時代には青銅器や鉄器が使用され始め、農業用具や武器として利用されました。鹿児島地域においても鉄製の農具や武器が発見されており、これにより農業生産性が向上し、集落が拡大したことが推測されます。
古墳時代
弥生時代が終わると、古墳時代(3世紀中頃〜7世紀頃)が続きます。この時代は、政治的な統一が進み、各地に首長や豪族が出現し、彼らを祀るための巨大な古墳が作られました。鹿児島地域でもいくつかの古墳が確認されており、その中には円墳や方墳などが含まれています。古墳からは、武具や装飾品、土器が出土しており、これらの遺物から当時の支配者層の権力や生活様式がわかります。
奈良・平安時代
古墳時代が終わると、奈良時代(8世紀)や平安時代(9世紀〜12世紀)が訪れます。南九州の鹿児島地域もこの頃には中央政権とのつながりを持つようになり、政治的・文化的な影響を受けるようになります。古代の南九州は、薩摩国や大隅国として、朝廷による支配体制の一部を形成していました。この時期、仏教や律令制が導入され、南九州にも寺院や仏像などが作られ始めました。
平安時代には、武士の台頭が見られ、地方豪族が力を持つようになります。鹿児島地域でも、後の島津氏をはじめとする豪族が権力を拡大していきました。
鹿児島大学で発掘された縄文・弥生時代の遺物は、鹿児島大学総合研究博物館で展示されています。この博物館では、鹿児島大学キャンパス内で発見された遺跡から出土した旧石器時代から江戸時代までのさまざまな遺物を見ることができます。また、考古学に関連するニュースレターも公開され、発掘調査の結果などがわかりやすく紹介されています。
大学の研究によると、市内を貫いて流れている甲突川も古代には鹿児島中央駅方面から流れてきて写真にある鹿児島大学農学部付近を通過して県庁方面に向かっていたそうです。
法文学部、教育学部の発掘調査によりキャンパスは縄文時代 弥生時代
古墳時代と時代ごとの遺跡がみられるのは興味深いことです。
弥生時代には朝鮮半島より渡来した弥生人が水稲を栽培していたという話を聞くと。大学の稲田からの風に吹かれて上荒田の杜の公園をプラプラさるきまわるのも捨てたものではないですね。
上荒田の杜公園の散歩を十分楽しんだら、歩いて5分の距離にある鹿児島大学の博物館を訪れてみるのもいいですね。そこにははるかな昔の先人が暮らしていた色々な証が展示されている。
掘り出されてきた壺に残る炎の跡を見る。先人の息使いまで聞こえてきそうな異次元の世界へのショートトリップを体験してみてはどうでしょう。
上荒田の杜公園の樹々と仲良くなると公園にくる楽しみが増えます。
ジャカランダ:南アフリカケープタウンで逢ったジャカランダ並木
上荒田の杜公園で私の好きな木。そしてお友達の木。公園に散歩に来るたびに木を見上げては幹をなでなでしている。
木の名前はジャカランダ。和名で紫雲木(しうんぼく)。独特な形の葉を広げ鹿児島の暖かい気候に
よく育ち冬も葉を落とすことがありません。
5月頃から房状の青紫の花をつけ見事です。花の時期は5月下旬から6月にかけて。
ジャカランダの並木を初めて見たのは、若い頃に訪れた南アフリカのケープタウン。街のあちこちに
ジャカランダの並木があり花の時期は紫にけぶる雲のような風景が素敵でした。
南アフリカでのジャカランダの花の時期は、9月頃からはじまります。x
季節の移ろいと共に咲く陽光桜:上荒田の杜公園の静かな時間
上荒田の杜公園のフェンス沿いには、ようこう桜(陽光桜)の大きな木があります。冬が終わりを告げるまだ幾分か寒さが残る初春の3月上旬ごろに花を咲かせます。
今は、秋ではありますが猛烈な残暑の時。この前通過して行った台風の影響で葉はまばらに。
公園の樹木のなかで何となくフィーリングの会う樹とお友達になる。人生が少しだけ豊かに
なる気がする。山や神社の大きな樹でなくていい。公園のフェンスの横のひょろっとした樹でいい。
動けない生き物。植物。公園という場所に住み場所を得て。自分なりの生きざまを広げていく。春夏秋冬。
「上荒田の杜公園」。杜と聞けば鬱蒼とした森林の様子を連想されるが現状そうではありません。でも今植えられている樹々が時間の流れとともに緑陰のやすらぎの場所になることを期待しています。
陽光桜は交配で作り出された品種。寒緋桜の遺伝子が入っているので濃いピンクの花びらだ。
咲く時期も河津桜よりは遅くソメイヨシノよりは早い。上荒田の杜公園のヨウコウ桜の開花時期は3月の初旬。
女流歌人の俵万智の歌がある。
「さくらさくらさくら 咲き始め咲き終わり 何もなかったような公園」
あこうの樹は、上荒田の杜公園のシンボルツリー、公園入口にデンと。
上荒田の杜公園を訪れた方が最初に出会う樹が「あこう」。くわ科いちじく属の亜熱帯に分布する。
鹿児島では、海沿いでよく目にするのがあこうの樹でガジュマルに良く似ています。
あこうの樹は枝や幹から気根を出し気根は幹を伝って地面に達します。ガジュマルの気根は枝から直接地面に向かい地面に到着すると太い幹のようになります。
海沿いのあこうの気根は周辺の岩に絡みつき樹を支える役割をします。鳥が種を運ぶことによりヤシの木の上に寄生したあこうの樹は気根を下におろしヤシの木を抱き込んでしまうことがあります。
あこうの樹は寄生した植物を枯らしてしまうことから、「絞め殺しの樹」と呼ばれることもあります。この画像は別の公園で写したものです。
あこうの樹の学名がいちじく属。ミニいちじくのような実を枝に直接つけます。熟してくると食べられるようですがまだ試したことはありませ。小さな実を指で裂いてみるといちじくような果肉があります。
上荒田の杜公園に立つ「クス」古代から続く生命の象徴
クスの樹は鹿児島では普通に目につきます。市内では多くのクスの並木があります。
春の新芽の頃の萌黄色の並木は鹿児島の風景としてはピカ一といってもいいでしょう。
上荒田の杜公園がある近くには、縄文や弥生、古墳時代の遺跡があります。当時の人々は、今の私たち以上に自然の力を感じ、深く関わり合って生きていました。クスノキもその一部であり、その強い生命力や抗菌・防腐の効果が、彼らの生活や儀式の中で大切にされていた可能性があります。
例えば、古墳時代には、クスノキが埋葬の儀式に使われていたと言われています。長寿の木であるクスノキが、亡くなった人々の魂を守る存在として信じられていたのです。
縄文の時代かのら連綿と世代を引き継ぎ鹿児島の野山生き残り公園樹としても植栽されているクスノキ。
鹿児島の県木としてカイコウズと共に指定されています。
まとめ
上荒田の杜公園は、鹿児島市内の比較的新しい公園でありながら、古代の歴史がしっかりと息づいている特別な場所です。公園の周りには縄文、弥生、古墳時代の遺跡が点在していて、先人たちが自然と共に生きてきた痕跡が残っています。
ここに立つと、陽光桜やジャカランダの美しい樹々が迎えてくれます。これらの木々は、ただの植物ではなく、生命の象徴。桜島の雄大な景色とともに、鹿児島の自然の豊かさを存分に感じることができます。
この公園を訪れることで、自分の日常を少しだけ忘れさせてくれる癒しの空間に身を委ねることができます。上荒田の杜公園は、自然と歴史が交わる特別な場所であり、訪れるすべての人々に新たな発見や感動を届けてくれるでしょう。あなたもこの素敵な場所で、心を豊かにするひとときを過ごしてみませんか?